【問題提起】検索で解決できない問題はたくさんある
- 2022.04.13
- インターネットのテクノロジ
インターネットにおいて、日常的に起こる問題は解決できるレベルまで検索結果は充実してきた。検索により求める回答を得られる率、野球で言えば打率のようなものはここ10年スパンでかなり上がっている気がする。つまり検索行為そのものに対する信頼性は上昇し続けている。
しかしニッチな業界、知識はまだまだ検索しても答えに辿り着けないケースがある。というか非常に多い。それらは、なぜ解決に至らないのか?主な原因として問題に取り組む人が少ないことが挙げられるだろう。逆の言い方をすれば、問題そのものが人に触れられにくい性質を持つ。そして、そのような問題は、まだたくさん存在する。インターネット上に情報を残すのも探すのも効果てきめんであろう技術的な話題でさえ、そんな状況である。
検索結果の飽和
一部の検索結果においては、検索される頻度が非常に高いため、似たり寄ったりのものが存在している。そのようなものばかりでは、インターネット上の情報が潤うことには繋がらない。また、見方を変えたサイトがなかなか検索上位に表示されづらいというのも一つの問題であろう。どのサイトもSEO対策を至上観念とすることによる弊害とも言えるが、いわゆるGoogle社の一定の価値観の上で踊らされている結果が、現在の検索結果の状況である。
Googleが検索結果を用いてもたらす秩序
確かにGoogleの求めるインターネット社会像は、見やすくて、面白くて、ためになるサイトをより多くの人に届けるという使命を果たしている。いわゆる「インターネット上の秩序」がGoogleによってもたらさており、人々が安心して求める検索結果を得るという目的は果たせている状況とみて間違いはないだろう。インターネット黎明期には考えもつかなかった価値観である。
検索の現状とこれから
ではその状況のままで良いのか?Googleは次の検索結果のステージをどのように描いているのか?創造的破壊が求められており、それを行う権利は実質的な支配者であるGoogleの手に委ねられている。「創造的破壊を行う必要は無い」、とはGoogleは微塵も思っていないだろう。一刻も早くインターネットを次のステージへ押し上げたい、誰よりもGoogleはそう思っているはずだ。
使命感
しかし、今はインターネット黎明期で築かれた多くの情報資産が、SEO対策により失われた時代でもある。そのため、リカバリとして今後少なくとも10年はインターネット上の検索結果の充実が図られ続ける可能性は非常に高いと言える。時代は変わる。そして検索により求められる結果も変わる。そんな中で、使命感をもって検索結果の充実を行い、インターネットというものを豊かにしていこう、と思っている人は多く存在するはずだ。その形は今や非常に多くの形を伴っている。SNS、Youtube、ブログ…ただ、その中でさえ、栄枯盛衰が激しい。
検索の未来像
検索の覇権をとった者は、現在発生、流入しつづける情報の渦を、今後どう取り扱っていくのか?必要な情報を取りこぼすこと無く、無益な情報にフラグを立てつつも、その中に光る要素をどう取り出して有益なものに変えていくのか?また、より効率的に人々の求める知への要求にどのように応えていくのか?これを一つのプロジェクトを考えた時に、必ずしも明確な正解は存在しないように思う。いや、明確な正解は存在するにせよ、圧倒的なスピードで発生しつづける人々が発信する情報を捌くリソースは夢物語であるし、その上に描かれる完璧なソリューションは今のところ実現することは無いのだ。
ではどうするのか?
一旦は難しいことを考えず、今はただインターネットに無い情報をインターネットに掲載する努力をするべきだと思う。それにより、人々が情報を発信する時間を作り出すことが、インターネット全体の利益に繋がると考えている。大体の場合において、インターネットで情報を発信する際は、発信者に「時間的余裕」が必要である。その余裕を作り出すためには、日々変化する様々な環境において、インターネット上におてより効率的に答えを与え続けることが大きな一助となるはずである。どこで誰の役に立つかわからない。一見無意味なコンテンツであるように見えても、見た人の心にわだかまっている絶望を取り除く力を持っているかもしれない。
縛られた価値観からの脱却~虚業を情報産業と捉え直す~
インターネットという実体を持たない空間上におけるビジネスに対し、どうしても(私を含む)一部の人は虚業であるという価値観を持っている。そういった人は、検索で日々の生活の質の向上が達せられているにも関わらず、どうにもインターネットそのものをちんけなものだとして見下しているきらいがある。自分を冷静に見つめられていない証拠だ。インターネットには、とてつもなく大きな利便性がある。
縛られた価値観からの脱却~労働力以外を提供、駆使する~
もうひとつ、労働階級は(実際には階級は存在しないが)「労働により賃金を得てこそ真人間である」という価値観が体の奥底にまで染み付いている。労働とは自分の時間を切り売りする行為であり、時間を費やさないと賃金を得られないという観念である。実は、というかそもそも資本階級(実際には階級は存在しないが)は働くことをしない。各種の自己啓発本にて取沙汰されているとおり、自ら働くのではなく資本に働かせているのである。
幸い、現代はインターネットを用いて時間の切り売り以外の「儲け方」が世の中に浸透してきている。ここに罪悪感を抱く者もいるが、大きく世界を見渡した時、必ずしも時間を切り売りしなくても、賃金は得られるということは気づいておいた方が良い視点である。
待っていても価値観の転換は来ない
自分の人生がうまくいっていないことを他所(よそ)に転嫁し、世の中の批判を繰り返す人が一定数いる。それは残念ながら、悲しいことだし、何より誤りだと思う。最低の言い方をすれば「負け癖」が染み付いてしまっている結果であるとも言える。資本階級の思うツボなのである。
チャレンジを経て見えてくる新たな世界
一歩、踏み出してみる。何かを始めるのに今より早い時期は無い。現代の一歩、それは昔の一歩よりも安易に、簡単に、踏み出せるはずだ。なぜなら、社会保障は昔よりも充実しているため、大きく間違ったとしても、死ぬことは無い。
「今が完成された社会保障の在り方なのか?」と問われたら、それは間違いなくNOだ。しかし、昔よりも良い、ということは確実に言える。社会はそうやって進歩している。
ただ、資本主義の限界は徐々に見えてきてしまっている。残念なことに、その綻(ほころ)びは私を含む暗愚な一般庶民にまで、隠し通すことができなくなってきている。
いま、この記事を読んでくれているあなたへ
人間はそれほど簡単には死なない。一歩踏み出して、自分の礎を築こう。築けたならば、他の人たちを、救ってあげよう。あなたの素質と優しさは、きっと、そのためにある。
検索で解決できる世界を
少し話が逸れたが、世の中には無数の問題が存在し、そして解決を待っている。誰かが解決をしたことが記録されれば、同様のケースがより短い時間で解決される。残念ながら問題の発生そのものを予防することは不可能ではないが、難しい。そちらのアプローチも非常に有用であることは間違い無いのだが、対症療法的な解法が積み重なった結果、予防の手法も徐々に確立されていくことにも繋がるため、まずは対症療法を記録しまくること、それがより良い世界の実現に寄与すると思う。
成果と報酬
昔は検索結果を書きたくてもある程度のコーディングの知識は必要だった。また、報酬のやりとりについても不透明な部分があった。しかし現代はそのような問題はかなりのレベルで解決されている。簡単かつ短時間で自分の領域をインターネット上に作り出すことが出来るし、報酬を得るプロセスも非常に明確化されている。いわゆる情報提供のためのインフラは整っている。幸せな時代だ。
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